激流 / 蜷川幸雄2006-2007

[蜷川幸雄 インタビュー5 2007]

年が明けて、『コリオレイナス』のパンフレット用の取材をした。今度は、稽古場の二階の奥にある芸術監督室。新築マンションの一室のようにキレイでガランとしている。人が座った気配のあまりないソファに、蜷川はまっすぐ腰掛けず、少し体を斜めにして体重をかけている。少し話したのち蜷川は次第にそわそわしだした。
「取材も稽古場でやるほうがいいんだよね。ぼくが趣味で稽古場にいたいだけじゃなくて、そこで皆と共生していたいんだ。だから、朝起きて自然に稽古がはじまるのが望ましいのかなあ。“はい、やります!”っていうんじゃなくてね。子供が保育園に行って過ごすみたいなものかな?」
「家ではないんですか?」
「家とはまた違う。家でご飯食べて寝るのとは違うんだ。仕事なんだけど、もっと違う自分の人生がつまっていて、そこにいるからいろいろなものが生かされたり、アイデアが出たり、紡ぎ出されていく。こういうのをなんていうんだろう?考えて(笑)。家は、稽古場でいいアイデアが浮かぶために平静になる場なんだ。昨日の晩も、ここに来て演出するために、バフチーンを読んだり、『8 1/2』を見たりしていた。直接関係ないけど、イタリアやシェイクスピアのイメージをもっと豊かにして考え直せるかなとか思ってね。その間に『恋の骨折り損』の台本ができたから読んだり、先々の公演のキャスティングを決めるためのビデオを見たり、寝る前には活字を読みたいから、昨晩は松本俊夫っていう映像作家の本を読んだり、そうやって自分の感性を整理しているんだね」
 そうして翌日になると蜷川は稽古開始の一時間以上前に稽古場に来て、皆と会話を交わしながら、「さ、行こうか」というかけ声で稽古を始める。

稽古場では、たとえばこんなことが起こる。

『コリオレイナス』第四幕第三場。これはローマ人とヴォルサイ人が街道ですれ違いお互いヴォルサイのスパイで情報を交換するというエピソード。

ローマ人役の鈴木豊は下手から足をひきずりながら現れた。ヴォルサイ人役の田村真は上手から。すれ違いざま、知り合いだと主張するローマ人を警戒して剣を向けるヴォルサイ人。ふたりの間に戦場の緊張感が走る。12月10日のエチュードの日、鈴木と田村はこのシーンの打ち合わせをしていた。

仲間だということがすぐにはわからない根拠を鈴木は義足で変装しているというふうに表現してみせた。鈴木が義足を放り出し、黒く塗った顔を手で拭き素顔をさらす瞬間、蜷川はニヤリと笑ってつぶやいた。
「やった!」
 そして、鈴木と田村が上手にはけると「よかったよー。このシーンつまらなかったらカットしちゃおうかと思ったけど、残すよ」と今度は稽古場中に聞こえる声で言った。


「A開いた! B開いた! C開いた!」
 井上尊晶の冷静かつ強い声が稽古場に響きわたる。

歌舞伎からヒントを得た襖絵が左右に開くことで背景を変えるという手法を稽古場で試していた。いくら本物に近い装置がある稽古場とはいえ、襖絵はかなり仮の装置でしかないが、ここはタイミングが重要。演技と同じくらい熱が入る。黒装束の演出部スタッフが声に従い粛々と作業を行う。
「好きなんです、こういう瞬間が」と言うと「いいよねぇ~」と蜷川は楽しそうに笑った。

「物語のおもしろさ、俳優の演技、立ち姿、下世話なものから高級な観念まで楽しみたいんだよなあ。中華丼みたいな。マーケットみたいな」
「マーケットってデパートですか?」
「違う、違う」
「……雑然とした市場?」
「そう、開かれた市場。その時その時のエッセンスみたいになるのが好きじゃないみたいね。基本的には生活者の眼差しにどう耐えられるかってことが大切。ご飯食べて、お金を稼いでいるだけじゃなくて、そこで哲学も学んでいきたい。俳優にも僕にもそれを求めているんです」
「前から気になっていたんですが…富士そば愛好者(舞台稽古の時、劇場の傍にある立ち食いそばチェーン店のカツ丼をよく食べている)っていうのは、生活者の視点をなくさないためですか?」
「違うよ!(笑) 食べ物に興味がなくて、幼児期に馴染んだものしか食べる気にならないだけなんだ。ほら、お客さんが来ると、出前をとったり、お寿司をとったりするじゃない。天丼とか。下町の商人の子供だったからね」
「だからその下町感覚をなくさないように気をつけているのかなって。蜷川さんはいま高級なものがいくらでも食べられる立場じゃないですか」 「それは考えすぎだよ(笑)」
 さらに蜷川は、サービス精神からなのか、本当にその手の食べ物が好きなのを強調したいのか、2007前半の3本を庶民的な食べ物にたとえだした。
「この3連ちゃんは、鮮やかにみっつのパターンを用いたいね。三色弁当ですね。好きなものでいうと、富士そばのカツ丼だろう。てんやの天丼。あとひとつはなんだろう? ……吉野屋の牛丼。このみっつを鮮やかに作りたいですね」
「この食べ物にたとえられるのは、俳優的にはどうなんでしょうか…」
「だって生卵つきだぜ?(笑)」
「『コリオレイナス』の市民役だったり、『タンゴ』の幻の観客だったり、ギリシャ悲劇のコロスだったりを見ていると、あの中に“私”がいる、といつも思ってしまうんですよ。そして、“私”と似た人をみつけるたびに、主役じゃなくても生きている意味はあるんだと思ってしまうんです。これ、私、何度も言ってますよね…」
「おれなんか言ってみれば、勉強好きな民衆だから(笑)。エリートじゃないからね。成り上がりものだからね。成り上がったっていうのはいやらしいかな。がんばっただけだよ。もとは階段に立てこもる集団のひとりなんだよ。若い俳優たちの眼にははじめからジジイとして存在しているけど、若い頃、同じだったんだと言いたいのにね。だから、埋没するなって。わかんないのかなあ……」
 そう言って、蜷川は稽古場へと戻っていった。
 
 少しして稽古場にいつもの一言が響いた。外出から帰宅して、部屋の電気を当たり前にポンと点けるような何気なさで。
「さ、行こっか」