NINAGAWA STUDIO

Yukio Ninagawa

1935年10月15日生まれ。55年、劇団青俳に俳優として入団。69年『真情あふるる軽薄さ』(作・清水邦夫)で演出家デビュー。現代人劇場、櫻社という演劇集団を経て、74年に日生劇場『ロミオとジュリエット』で大劇場の演出を手がけ、以後、日本の戯曲から、シェイクスピア、ギリシャ悲劇などの世界的な古典まで、幅広い作品を次々と手がける。“疾走する演出家”と呼ばれ、止まることなく、時代と共に走り、時代を映し出す演劇を作り続けている。83年『王女メディア』のヨーロッパ公演を皮切りに海外進出。以後、毎年欠かさず海外公演を行い、その活動は広く海外でも注目されている。

【近年の活動】
05年 歌舞伎座『NINAGAWA十二夜』で歌舞伎の演出に初めて挑んだ。
06年 55歳以上を対象にしたさいたまゴールド・シアター活動を開始。
RSC主催コンプリートワークスに日本で唯一招待され『タイタス・アン ドロニカス』を上演。現在、桐朋学園芸術短期大学学長、東急Bunkamuraシアターコクーン芸術監督、彩 の国 さいたま芸術劇場芸術監督をつとめている。 ロンドン グローブ座のアーティスティックディレクターのひとりでもある。 俳優、スタッフ志望の若者による演劇集団ニナガワ・スタジオの活動も行っている。

【主な受賞歴】
2002年英国の名誉大英勲章第三位を授与。国内では、04年度文化功労者。05年菊池寛賞受賞。06年朝日芸術賞特別大賞、読売演劇大賞・大賞、最優秀演出家賞。

公式サイト:https://www.ninagawayukio.com/

ニナガワスタジオとは

当スタジオは1984年、演出家、蜷川幸雄によって若い世代の俳優、スタッフを集めて演劇集団GEKI-SYA NINAGAWA STUDIOとして創設されました。
以来、従来の劇団としての組織ではなく、個々の自立した個性の集まりとして独特な活動を続け て参りました。 いわゆる養成所の俳優訓練ではなく、稽古場での実践的なエチュードを通じて俳優の訓練を行っております。

ニナガワスタジオの歴史

1984年
9月
GEKI-SHA NINAGAWA STUDIO発足。東京・森下にあるベニサン・スタジオを拠点に活動を開始。
11月22日
ベニサン・ピットにて旗揚げ公演『稽古場という名の劇場で上演される三人姉妹』(作・チェーホフ)上演
1985年
6月
『95kgと97kgのあいだ』(作・清水邦夫) ベニサン・ピット
10月
『作品たち』(構成・蜷川幸雄)PARCO SPACE PART3
1986年
7月
『NINAGAWA少年少女鼓笛隊による 血の婚礼』(作・清水邦夫)ベニサン・ピット
1987年
5月
『虹のバクテリア』(作・宇野イサム)ベニサン・ピット
10月
『ギプス』(作・宇野イサム)ベニサン・ピット
1991年
ザ・ヤング・ニナガワ・カンパニーと改称。
1月
『1991・待つ』ベニサン・ピット
1992年
ザ・ニナガワ・カンパニー
1月
『1992・待つ』ベニサン・ピット
1993年
1月
『1993・待つ』ベニサン・ピット
1996年
ニナガワ・カンパニー・ダッシュと改称
11月
『1996・待つ』ベニサン・ピット
1998年
11月
『1998・待つ』ベニサン・ピット
1999年
6月
『血の婚礼』 ベニサン・ピット
2001年
10月
『2001・待つ』ベニサン・ピット
2003年
7月
『2003・待つ』ベニサン・ピット
2004年
ニナガワ・スタジオと改称