激流 / 蜷川幸雄2006-2007

[Episode2. 前川遙子 大抜擢]

立ち姿が印象的だった。大地としっかり繋がっている。けれど、その魂は、その足下にはなく、遙か彼方を見据えている。


前川遙子の瞳が蜷川幸雄に照準を合わせたのは、オーディション雑誌を繰っている時だった。その日、彼女はちょっとした躓きから、崖の底に突き落とされていた。所属していた劇団をあるきっかけで退団することになったのだ。絶望ともがき。「23歳でニートになりたくない!」その一心ですぐさまオーディション雑誌をめくった。

運良くスタジオのオーディションに受かった前川は、いきなり『オレステス』で役がついた。ゴールド・シアターの第一回公演『途上』(彩の国さいたま芸術劇場7月)にも出演した。

しかし彼女のもがきは治まらなかった。彼女は台詞恐怖症だった。もともとバレリーナを目指していて、劇団でもダンスを得意としていた。ニナガワ・スタジオを選んだのもシェイクスピア劇には舞踏会シーンがあるに違いないと考えたからだ。それがなぜか『あわれ彼女は娼婦』のダンサーとしては選ばれず、朗々とした発声を必要するギリシャ悲劇と、美しく力強い台詞が魅力の清水邦夫作品に出演が決まった。

「凛々しいのは髪型だけなんです」とポソポソ笑いながらしゃべる。茶色のショートカットからのぞく耳にはピアスが揺れている。稽古の休憩時間、劇場傍のファミレスでにんじんをよけてハンバーグを頬張る。それらのひとつひとつがどこかアンバランスだ。その印象にも似て、人を寄せ付けない強さを漂わせて見えたその外観の内側では、稽古場でうまく声が出せないあせりに心を振るわせていた。得意の正面仁王立ちのポーズも却下、「斜めに立て」と言われた。自分のいる意味が見いだせなかった。蜷川をはじめ、多くの先輩たちにアドバイスをもらいながらも、なかなか打破できなかった。
「恥ずべき技術のなさだ」と蜷川は嘆いた。やがて蜷川は稽古場で世にも残酷な言葉を放った。
「できないなら自分から降りてくれ。なんで俺だけいつも俳優を降ろして傷つかなきゃいけないんだよ?」
稽古場は静まりかえった。しかし前川は蜷川の言葉は当然だと思った。蜷川にも先輩たちにも教えてもらっているのにどうしても喉を解放できない自分が情けなかった。けれど幸か不幸か台詞を減らすことでそのまま彼女は続投となる。これが逆に前川にはもっとプレッシャーになってしまった。

ただただ申し訳ない一心になって、蜷川に降りると言いにいった。座っている蜷川を見下ろす形になるのが悪いと思い膝をつくと、思いがけない冷たい台詞が頭上に降りかかった。
「そうやって低姿勢に出れば許されると思っているのか」
蜷川は以前にも「土下座とかされるのはいやなんだ、そういうことすれば許すと思われるのって馬鹿にされてるみたいじゃない?」と言っていたことがある。
 許してほしかったわけじゃない、できないから辞めると言おうと思ったのにーーその日から前川は蜷川と口がきけなくなった。辞めることもできないまま、本番を迎え、東京公演は苦しいまま終わった。
「割れた」のは大阪公演だった。「割れた」とは声が出たということ(技術的にも精神的にも)だ。それまで、四季時代は三時間前からアップして発声しなくてはいい芝居ができない、前日に呑むなどあり得ないという日々を送っていた。「それは思い込みに過ぎない」と演出助手の井上にも止められたがやめることなどこわくてできなかった。ある日ちょっとした事情でそれができないまま舞台に立つことになった。混乱する感情で舞台に立った時、はじめて声が出た。「割れた」瞬間だった。「技術は二の次、台詞を本当に思えば声は出る」と教えられたことがやっと実感できた。

大阪で大楽を迎えた頃、埼玉ではゴールド・シアターの第2回公演『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』の稽古が行われていた。割ったとはいえ心身共に晴れたわけではない。このまま蜷川のもとを去ろうと考えた。とはいえこれだけお世話になったのに黙って消えるのもあまりに失礼だ。思いきって別れの挨拶にいった。
「出ちゃえよ」
 おずおずと近寄ってきた彼女を見て蜷川はなにごともなかったように言った。
 気づいたら『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』の変身する若者のひとりになっていた。
「蜷川さんはなんでもわかっているんだと思います」
 とすれば、「辞めてくれ」と言ったのも「辞めます」という言葉を遮ったのも、蜷川の真意はその行為とは別にあったのかもしれないと思えてくる。
 芝居のラスト、倒れた老人達の中からすくっと立ち上がり、前方にそびえた階段上の客席を見据える。蜷川から学んだ上体を斜めにして立つ姿勢で見る風景は、前川にはどこか違っていただろうか。