激流 / 蜷川幸雄2006-2007

[Episode.6 石田佳央 まだまだこんなもんじゃねえ]

『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』の稽古中、一時間の昼休みが入った。
皆、めいめい昼食を採りに稽古場から離れる。

何人かの俳優は残って自主練をしていた。高齢者に混じり、老人の孫役で出演している石田佳央が休み前に出されたダメ出しを元に、蜷川からさらなる稽古をつけられていた。

いつもは40人以上の出演者にスタッフ、見学者がいてザワザワしている稽古場だが、休憩時間はひときわ声が響く。

ふいに蜷川の声が際立って聞こえてきた。
「他人のダメ出しを聞かないと、その人の愛を失うんだけど、それにも負けない芝居をすればいい。社交は要らない。何を選択するかが大事なんだから。いろんな人の言うことを聞いていると、その揺らぎが演技に出るんだよ。意気地のないほうが意気地ある生き方より楽なんだ。何かを捨てると失うけど、何かを得るんだよ」

身長184cmで、10代の時に原宿でモデルにスカウトされてこの世界に入ったほどのスタイルの良さを誇る石田。『タンゴ・冬の終わりに』の幻の観客役では、皆がスローモーションで動いて劇場から去っていく中、長い足を大きく広げ、ひとりふんぞりかえって一列目ど真ん中の席に座ったままだった髭面の男が彼だ。ところが、『鴉』の役では、意外と押し出しが弱い一面を見せ、自主稽古をされていた。
 芝居の稽古をしていると、台詞のある役をもらいはじめた若者に、周囲の先輩俳優達はよかれと思い、いろいろとアドバイスをするようになる。その意見は10人10色。全部を採り入れるわけにもいかない。自分のアドバイスを聞いてないと思った者との関係性が崩れてしまうことがある。でも、そんなことを気にしていたら自分の芝居ができなくなる、と蜷川は忠告していた。

「あれはちょっと、ホント、いい話っスよ。あれは、すごく嬉しかったですね。もちろん芝居に対するダメ出しとかも嬉しいし大事ですけど。ひとりの役者として立てるように言ってくれた言葉だなって。次のステップを見据えてくれているっていう。あの時、あの場で、あれを聞いている人が全然いなかったっていうのが得した感じでした(笑)」

結局はひとりで闘わなくてはいけない。蜷川にそう言われたと感じた。

ところで『タンゴ』の時は、何を思って席に座っていたのか? 社会に対する不満でも?と聞いた。
「いやぁ、まだまだこんなもんじゃねえって思ってるんで……。周囲に対して、反抗精神みたいなものとかもあるし。そういう部分は大事にもっていたいなって。おれはまだやれるんだって」

最初は、「たとえ群集役でもなんとか工夫して、観客の意識に残るようにしろ」とよく蜷川が言っているので、みんなが席を立って映画館の外に出ていく中、できる限り立ち上がらず座ったままでいてみた。しかし、演出家は皆に「動け、動け」と言うので動いたら「石田は座ったままでいろ」と言われたそうだ。

『鴉』公演の後に稽古がはじまった『コリオレイナス』にも石田は引き続き参加した。稽古場で蜷川はふいに「この台詞覚えてるやついるか?」と言った。ある役を別の俳優に変えてみる蜷川の恒例の稽古方法だ。そんな時、稽古場の呼吸は一瞬止まる。ビリビリとした空気の中、石田は、その声にひとり遠慮がちに手をあげた。