激流 / 蜷川幸雄2006-2007
[Episode.4 遠山陽一 今が一番輝いている時]
06年5月。55歳から80歳まで46人の高齢者による〈さいたまゴールド・シアター〉が発足し、週に5日間、朝9時~夕方16時まで演技、発声、ダンスなど様々なカリキュラムが行われていた。皆、生き生きとレッスンに明け暮れていた。
最初の自己紹介で「遠山だから、キンさんと覚えてください」と挨拶をした遠山陽一は、46人の中でも目立つ存在だった。キャッチーなあだ名といつもニコニコした目と口元が能の翁面のよう。大きな眼鏡も漫画のキャラクターみたいだ。
子供の頃から目立ちたがりで、学級委員に立候補したり、演劇もやっていた。成人してからも何かと集まりの世話役のようなことを進んで行い、定年後もそれは続いた。
蜷川はキンさんを「おれに似ている」と言って何かにつけネタにした。キンさんは70歳だから蜷川と年齢もほぼ同じ。髪型、背格好が蜷川に似ているので「後ろから見たらわからない」と。ふたりが並ぶと楕円形の頭部と少し前かがみなシルエットが折り重なって、皆が沸いた。
ある頃からキンさんはシャツの襟を立てるようになった。蜷川のシルエットにますます似てきて、もしかして意識しているのかと思ったら、蜷川に役作りのひとつとして勧められたのだという。ジーンズの裾が折られているのもなかなかオシャレだった。これも蜷川のコピー?
「蜷川さんがね、膝をついて、ジーンズの裾を折ってくれたんですよ。このほうがよくない?って。もったないないです、そんなにまでして…って思ったよ」と嬉しそうに言うが、蜷川の折り方とは少し違う形にしている。「わたしはこっちのほうがいいんです(笑)」と自説は曲げなかった。
ゴールド・シアター第二回公演『鴉よ、俺たちは弾丸をこめる』(06年12月)公演のオープニングに準備されていて、台詞のコラージュの中で、遠山に最初にふられたのは「二十歳の時が人生で最も美しい時期だったとは言わせない」だった。結局この台詞は他の人に変わり、やがてこの台詞を言うシーンがまるごとカットになってしまったのだが、「生きてきたことが芝居に生きるもの」というのがゴールド・シアターのテーマなので、何かを演じる時、自分の人生が去来するものなのかを尋ねると「なかなか難しいよねぇ、それは」とカカカと笑いとばした。
「でも、二十歳の時が~~っていう台詞はわかるね、二十歳の時はもう会社に入って働いていたから」
キンさんは中学を出ると夜間高校に通いながら会社勤めをしていた。勉強と仕事の合間を縫って演劇部にも入った。だが残念ながら演劇活動は続けることはできなかった。定年までその会社で働き、今やっと年金でゴールド・シアターに通い演劇をやっている。
「一番輝いている時期って言ったら今だね」。
『鴉』で女性役(はげ婆)を演じた。女性を演じることに最初は戸惑いがあったが、初日を見た人から「惚れた」って言われちゃったよと、初日乾杯のあと、小躍りするように帰っていった。
そんな明るいキンさんは、第一回公演『途上』の半ばに行う音楽に合わせて、哀しみを表現する舞踊の時、白いハンカチで顔を覆い大泣きするパフォーマンスを見せた。
「最初はこれ以上泣いていちゃいけないぞって、がんばろうとしたんだけど、蜷川さんが、“声出して泣け”って言うから、上むいて泣いたんですよ。人生いろいろあるでしょう、泣きたい時は泣くと。でも散々泣いたら、もう泣かないぞと」
そう言って、カカカと笑った。