激流 / 蜷川幸雄2006-2007
[Episode.3 神保良介 26歳のベテラン]
サイトの撮影を担当している演出助手の藤田俊太郎が、「僕と同じ26歳なのに、19歳からスタジオにいる神保さんは、既にベテランの雰囲気を醸している」と言い、彼の写真を撮りたいと提案した。
神保良介にそう言うと「え~」と困惑した。「ふだん大人しいからベテランとか言われちゃうんでしょうね。ただ大人しいだけなんですけど…。芝居をしてなかったなら本当に内向しちゃいます。芝居をやっている時には少し他者に対して開けるんですよ。だからこの取材も芝居中じゃなかったらもっと話せないかもしれないです」
取材は『タンゴ・冬の終わりに』での神保たち幻の観客役の男子楽屋で行った。そこは舞台の奈落。炭坑のような雑然として真っ暗な中にライトがポツポツとともり、机の上に鏡にメイク道具、いろいろなものが置かれている。皆、そこで腰を低くして一ヶ月生活していた。
出とちり防止用なのか、大きな文字のデジタル時計が暗闇でひときわ光っていた。化粧前に座った神保の横顔は、額がしっかり張りだして頭脳派な印象だ。
蜷川のダメ出しをすぐ形にできるのは感じていた。たとえば、「舞台上で平らに並ぶな、斜めに出るんだよ」と言えば、すぐさま実行できる。「集団が並ぶ間隔を考えろ」と言えば、うまく前後左右の空きを見ているなと感じる位置取りをする。
「スタジオに入って1、2年の頃は、“すぐやってみろ、できなきゃ要らない”っていうサバイバルな状況でしたから。気持ちがつながらなくていいからまずは、動いていた。最近は感情も考える余裕が生まれてきました」
神保がスタジオに入った時は、〈ニナガワ・カンパニー・ダッシュ〉として劇団活動を行っていた。蜷川組の常連である妹尾正文、清家栄一、塚本幸男、飯田邦博、新川將人などがまだ所属していて、劇団公演もあり、エチュードの稽古も盛ん、皆切磋琢磨し合っていた。ただ、最初の1、2年、先輩達はあまり何も教えてくれない。「はじめの三ヶ月で結構いなくなるから。だから、みんなしばらく様子を見ているんだと思います」。
確かに、今年入ったスタジオの若者も、既に数人辞めてしまっている。何度か共に芝居を作っていく中で、残った若者と先輩たちは少しずつ交流が深まっていく。
エチュード発表自体、演技以前の題材選びから難関で、台本の魅力と、今の自分に合った役かどうかを問われる。これが意外と難しい。はじめて誉めてもらったのは、03年のオニールの『喪服の似合うエレクトラ』。作ったエチュードが本公演(『2003・待つ』)に採用されたのは、坂手洋二作『子供部屋』(戯曲『屋根裏』の中の一話)。逆に、自分がせっかく台本化したものを他の俳優が演じることになってしまう悔しいこともあった。05年のエチュード発表では、『蹴りたい背中』(綿谷りさ/集英社)の一部を台本化し、ニナガワ役(ヒロインが背中を蹴りたいと思う内向的な少年)を演じた。この作品は「現代性がある」と蜷川も絶賛だった。
「『タンゴ』では、バランスや位置関係などに関しては信頼されて任されているようには感じました。そういう意味では逆にもう少しはみだしていきたいかなって。これからの課題は、ちょっとそれはやばいだろうっていうギリギリのラインくらいまではみだしてみたいかなって思います」
そう言いながら、出られる場にはなるべく関わろうとしたという積極性もある。
「盛の幻想の中に出てくる少年や角巻などをやって、ブランコも後ろで揺すっていました」
自分たちが演じている人物は盛の分身なのかもしれないと考え、モニターで欠かさず盛役の堤真一のその日の芝居をチェックし、自分の動きに生かすようにしたと言う。
また、『タンゴ~』の幻の観客で演じたのは、サラリーマン。自分と同世代の者たちがサラリーマンとして過ごしている時間を見てつくりあげた人物。それと、1、2年くらい前に味わった「軽く人生変わったかな?っていう体験」も盛り込んだ。その体験について聞いてみたかったが、俳優たちが息を潜めて待機している楽屋の中ではかなうまい。その体験について聞かせてもらうには、どんな場所、どんな時間を選ぼうか。それとも、彼の演技が語るのを楽しみにしようか。