激流 / 蜷川幸雄2006-2007

[Episode1. 茂手木桜子 羊をかぶった少女]


3月13日。朝9時に集合した蜷川とスタジオの面々は、オーディションを開始した。審査員は蜷川と、昔からのスタジオのスタッフ、俳優。若手は見学と、応募者の受付や進行。
応募者は10組ずつくらいに分かれて、順番に芝居を発表する。課題はあらかじめ渡されていて、『ロミオとジュリエット』『エレクトラ』『救いの猫ロリータはいま』などから選ぶことになっていた。それぞれ衣裳や小道具、音楽などできる範囲で工夫して審査に臨む。演劇雑誌の告知や劇場でのチラシの配布のほか、オーディション情報誌にも告知を出したせいで、応募者がいつもの2倍に増えた。稽古場が使えるのは夜10時まで、なんとか全員を今日中に審査しなくてはいけない。休憩は10分くらいの短いものを何回か入れるだけで、ひたすら次々と現れる個性派たちの芝居を見る。唯一長めの昼休みには、蜷川がお金を出してくれたお弁当をスタジオの面々はかきこんでいた。

すっかり夜も更け、審査にも疲れが出る頃、ひとり異様な恰好をしている女の子が現れた。彼女は全身白い羊の着ぐるみを着て『エレクトラ』を演じた。蜷川の演劇には不似合いな小劇場系のアプローチに、誰もが微妙に冷ややかな目線を彼女に向けていた。しかし、蜷川はその演技に特に口をはさまず、審査は進んだ。

制限時間内になんとか全員を見終わった蜷川は、明日の準備(『白夜の女騎士―ワルキューレ』の準備)があるからと帰っていった。蜷川の背中を見て私も稽古場を後にした。薄暗く足場の悪い錆びた鉄の階段をゴンゴン音を立てて降りていくと、一階で蜷川が怒鳴っている声が聞こえた。
「あんなものなんで着るんだ!」
見れば、さっき羊を着ていた少女だった。着ぐるみを脱いだ姿はショートカットだった。蜷川と話しているということは、彼が学長をつとめる桐朋学園の生徒なのかもしれない(桐朋の生徒はよくスタジオのオーディションを受けているので)とひとり納得して、その場を後にした。

羊の少女・茂手木桜子には『オレステス』(ホリプロ8月)の稽古場で再会した。オーディションに合格しスタジオに入り、この作品に出演することになった彼女にパンフレット用のコメント取材をした。

茂手木は名古屋で小劇場活動をしていて、桐朋生ではなかった。あの日はじめて蜷川に会い、これを逃したら二度と蜷川に会える機会もないかもしれないと考え、なんとか自分の芝居の感想を聞きたいと階下で待っていたそうだ。
「あの時は、奇をてらおうとかいうことじゃなくて、本人的には真剣にやっていたんですよ。人間を演じている動物と、人間である私がそれを演じているという二重性が面白いんじゃないかとか、動物が演じることによって物語への客観性が生まれて、この普遍的な悲劇の要素が、まさに人類である自分たちの問題であるのだと突きつけられないかとか……」  これらの考えは、当時書いた自分の演劇ノートに綴ってあるそうだ。
「そんなこと見ている側には伝わらないですよね…(笑)。ある意味、自分に課した足かせだったんですけど…。ヘンな恰好が気にならないくらいいい芝居をするぞって。でも、あの恰好で会場に入った瞬間、あ、なんか空気やばい…、演技すら見てもらえないかも…って思ったんですよ。それで、帰りに出待ちをして蜷川さんに感想を聞いたんです。そしたら“馬鹿なもの着てるんじゃねーよ、時間があったら脱げ!って言ってるよ、今日は稽古場の閉まる時間が決まっていたから言えなかった”と叱られた…でも、世界の蜷川にダメ出しを直接してもらえてうれしかった。その日は眠れなかったです」

「出待ち」という言葉を当たり前のようにさらりと使った茂手木は、彼女をはじめて見た知人が「某グラビアアイドルに似てる」と言うくらい華奢で、いつも発色のいいオシャレ古着系の服を着ていた。イマドキだけど、ちょっとヒトと違うことを求めている印象があった。稽古では何かとアグレッシブに前に前にと主張をし、逆に「前に出るな」と言われたりもしていた。
 
のちに、『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』のラストシーン、老人が若者に変身するシーンでスタジオの若者たちが出演することになった時、茂手木は、腿のつけ根スレスレの丈の短いパンツをはき、白くて細い足を向きだしにして待機していた。しばらくして彼女はパンツを七分丈に履き替えた。またしばらくすると、またミニを履いている。さすがに超ミニはやりすぎかと決断つきかねているようだ。
 逡巡の末、超ミニを選んだ。むき出したその白い腿は、いわゆる若さの特権的肉体を無言で主張し、老人が変身した後のギャップを際立たせた。
 蜷川は他の若者たちにも、もっと肌をむき出せと指示した。
「試してみてよかったです」
 彼女には着ぐるみはもう要らない。