2017・待つ/インタビュー:堀文明

堀文明 話し合いたい男

堀文明 ”チチ”

<photo 仲野慶吾>


 「蜷川作品にはじめて出演した作品は、静岡県護国神社での『NINAGWA・マクベス』です。森に当たった、まるでマクベスの魂が昇天していくように荘厳で幻想的な照明を見たとき、 すごいとこに来ちゃったな … と思って。それは忘れられませんね」


 『2017・待つ』のメンバー9人の俳優のなかでは最年少の堀文明は、18歳でニナガワ・スタジオに入った。その際、滅多に褒めない蜷川が、堀のことは褒めたという話をよく耳にする。堀文明“天才”伝説について、本人に直接聞いてみるとーー。
「蜷川さんは褒めてはくれましたけれど、違う言い方でした。高校を卒業して、いきなりスタジオに入ったぼくは、その前にどこかの劇団や俳優養成所などを経たわけじゃなく、たいした演劇教育を受けていないわりには、ある程度のことができるんだな、天性の何かがあるんだなと、蜷川さんは言ってくれたんです。それが転がって、『“天才”って言われた』ことになってしまったんですね。言われたぼくが断言します、蜷川さんは“天才”とは絶対言っていません(笑)。ただ、何かしら褒めてもらったときはやっぱり嬉しかったですよ。田舎から出てきて、右も左も全然わかってないときに、肯定してもらったらやる気になるじゃないですか。 でも、その後、すぐに壁にぶつかるんですよ。例えば、 最初に台本を読んだとき、 60点くらいの演技はすぐにできる。でもそこで止まっちゃう」


 その先に向かう方法を、堀はスタジオで学んだ。できることをそのまま容認するのではなく、変化していくことこそが大事。ニナガワ・スタジオは、定期的に俳優がエチュードを作って蜷川に見せていく、停滞を許さない集団だ。「最初からうまい人もいれば、不器用だけどだんだん変わっていく人もいて」、俳優同士が切磋琢磨して進化していく様を目の当たりにする毎日だった。
「芝居の基本を、スタジオの先輩たちと一緒に芝居しながら学んでいきました」


 堀は、芝居をするうえでひとつひとつ疑問を解消しようと、 先輩たちに問いかけていった。 例えば、今回上演する『12人の怒れる男』を14年前にやったとき、堀は、登場人物たちが、なぜ珈琲を飲むかにこだわった。
「部屋に珈琲のポットが置いてあって、登場人物が議論しながら飲むのですが、設定は、ものすごく暑い日の話なんですね。僕はふだん珈琲飲まないから、なんで、この暑いなか、みんなホット珈琲を飲むんだ? って気になって仕方なかった。そうしたら 『おれは飲む』 と言う人がいて、でも 『おれは意味がわからない』 と言い張って。 暑い日に狭い部屋で熱い珈琲を、 “素直に飲む” のか、“(他にないから)仕方なく飲む”のか、“部屋にホット珈琲だけがあって、水が無い事になぜ誰も言及しないのか”、という事に引っかかっていたので、延々議論して、半ばケンカみたいになって(笑)。その日、通しをやるはずが、できなくなってしまったんです。そのことをいまだにみんなからチクチク言われます(笑)。本来、そういうことは、演出家が決定することですが、『待つ』は俳優たちの自治に任されているので、 俳優たちが互いに納得するまで話し合うことになるわけです。でも、そういう作業を含めて、『待つ』をやることが楽しかったですね」

(写真/木俣冬)”12人の怒れる男”稽古より

 おもしろいのは、 『12人の怒れる男』 で、堀の演じている役は、この“話し合い”ということについて、とても考えさせられる役なのだ。資質に合った役をキャスティングされたのか、はたまた役に近づいてしまったのか、それはわからない。


 ともあれ、 そんなふうに、 スタジオのメンバーたちとほんとうの家族よりも 長い時間を共に過ごし、話し合いを重ねながら、固定観念を覆して新たな地平を切り開いていく演劇生活を送ってきた堀。30年近く、蜷川の舞台に欠かせない俳優として出演してきたが、そのなかで一度、残念な出来事があった。2004年の『ロミオとジュリエット』で怪我による降板だ。
「藤原竜也くん演じるロミオの友人ベンヴォーリオという重要な役で、でもそれはすごく若い役だったので、ぼくでいいのか? とも思っていたんですけど(笑)。でも、その年のぼくは、前年の暮れから、はじめて仕事が途切れることなく続いて、これは俳優としていい波が来たか、とも思っていたんですよね」
 舞台装置の2階から落ちて緊急入院した 堀のもとに蜷川が見舞いに来たのは事故の翌日だった。
「うつ伏せにカラダを固定させられていたぼくが、蜷川さんが来て、慌てて起きようとするのを見て、『起きるな、起きるな』『気にしないで、早く治すことを考えればいいから。治ったらまた一緒にやろうな』とだけ言って、すぐに帰っていかれました。長く病室にいるとぼくがあせると気をつかってくれたのだと思います」
 蜷川幸雄は自身の存在が相手にどう影響するか、とてもよくわかっていただろうと堀は言う。
「蜷川さんはものすごく気を使う方で、堀はおれと話すと緊張するからあまり話さないほうがいいって思っていたみたい(笑)。蜷川さんのなかで、そういう人が何人かいて。飯田(邦博)さんも、そういう部類に入っていたと思います。実際、ぼくは、ふだんから気楽に蜷川さんに寄っていって話ができるタイプではなくて、
10秒くらい話すと緊張してしまう。挨拶以外に長く会話する必要のあるときは、よし! 話すぞ! って相当気合を入れないとならなかった(笑)。もっとも、ふだんは話さなくても、芝居のうえで会話ができればそれでいいと思っていたんです」
 蜷川は気を使ってか、『ロミジュリ』以降、堀をシェイクスピア劇にキャスティングすることはなかったという。


「昨年末、蜷川さんが演出する予定だった『一万人のゴールド・シアター』の公演に参加しまして、そこで 『ロミジュリ』 のベンヴォーリオをやったんです。13年越しのベンヴォーリオでした。因縁ある演目と役ですからちょっと緊張もしましたけれど、何か憑き物が落ちたような、禊のような気持ちがしました。もちろん、13年間、ずっと抱えていたわけじゃないけれど、これで、ああ、大丈夫だと感じました」
 悲しい出来事がきっかけになってしまったが、怪我の後も真摯にずっと蜷川の舞台に立ち続けてきたからこそ乗り越えられたのだろう。これを経て、これからの目標を、堀はこう語った。
「必要とされる俳優になりたい。この役は堀がいいねって言われるような。そして、つらいけど楽しいっていう芝居への取り組みが続くといいなと思います」

(写真/仲野慶吾)”チチ”より

取材・文/木俣冬
デザイン/田淵英奈