2017・待つ/インタビュー:清家栄一

清家栄一 さみしがり屋のエチュード

清家栄一 ”リハーサルマクベス”

<photo 宮川舞子>


 蜷川幸雄作品最多出演俳優・清家栄一は、『2017・待つ』では、ひとり芝居『リハーサル・マクベス』の1本のみに参加した。ニナガワ・スタジオ全員で参加しようと選ばれた演目『12人の怒れる男』に、なぜ、彼は参加しなかったのか。


「ぼく、いままで演出家のいない芝居をやったことないんですよ。ひとり芝居は、自分が演出も兼ねているわけで。演出家なしでやると、みんなの意見がまとまらなくなることがあるでしょう。そういうのがいやで……」
 こう聞くと、個人主義なのかな、という印象を抱くが、その根底には、集団を尊重する心が感じられる。というのは、あとで清家はこういうふうにも言ったのだ。
「絶対俺がかきまわすから、いないほうがいいって思ったんです。もちろん、『そうやって意見を言い合いながら作りたいんだ、それこそが「待つ」じゃないか』って言う人もいました。でも、やりはじめてから、途中で抜けるようなことになるのはいやで。そういうモラルはもっているんですよ(笑)」  世の中には、何かを一緒にやりはじめたものの、途中で空中分解してしまうケースがある。清家はそういうふうになる危険性をおそれて、最初から“ひとり”を選ぶのだろうか。
「ひとりが好きだけど、寂しがり屋なんですね(笑)。だから、打ち上げには出ないんです。なぜかっていうと寂しいから。さんざん盛り上がって、じゃあな、ってひとりひとり帰って行くときが、すごく寂しいんですよ。だったら最初からひとりでいたほうがいいや…って。スポーツも、チームプレーのものよりも、柔道、空手、少林寺拳法……と個人競技が好きですね」

 『リハーサル・マクベス』で清家は、たったひとり、『マクベス』のセリフを延々諳んじる。『マクベス』を選んだわけは、鮮烈に印象にのこった作品だから。
「何度も再演している『NINAGAWA・マクベス』の、初演版がカラダに染み付いてしまっていて、その記憶を元に演じたかったんです。1980年、初演のとき、ぼくは、嵐徳三郎さんと津嘉山正種さんと3人で魔女を演じていました」



『リハーサル・マクベス』で、清家がひとりで稽古をしていると、時々、携帯電話がかかってきて、その相手と会話をする。その様子を観ていたら、彼が、清水邦夫に当て書きしてもらったという『血の婚礼』のトランシーバー少年を思い出した。この少年はたったひとりで、トランシーバーを使ってどこかの誰かに話しかけていた。 自閉しながらもじつは誰かにつながることを求めていて、でもその術がわからなくて、トランシーバーだけを拠り所にするのだ。


 清水邦夫は、『遠藤ミチロウ×蜷川幸雄 オデッセイ1986破産』で清家の演じたひとり芝居を観て、この役を描いたそうだ。それを蜷川が気に入って、『1991・待つ』でもバージョンアップして演じられた。
「エチュードを何やろうと考えていたとき、家に丸尾末広の漫画があって、それが使えると思ったんです。まんま漫画です、一部、ほかの作品も混ざっているのだけれど。1、2日でつくったのかなあ、やってみたら、蜷川さんが褒めてくれました」


 当時、アラサーだった清家は、サブカル漫画も少年ジャンプも読んでいたという。いわゆる“自閉する青年”ってわけじゃなかったんですか? と聞くと、驚くべきエピソードを話してくれた。
「ぼく、その頃、部屋に、マネキン人形を置いていたんですよ。 あるとき、 たまたま、 稽古のあと、蜷川さんが車で家まで送ってくれたことがあって、お礼に『お茶飲んでいってくださいよ』って家にあげたら、置いてあるマネキン人形を見て、蜷川さんはびっくりして。それはあとで、雑誌に“現代の青年の部屋”って取材されました。その記事の中で蜷川さんは 『彼(清家のこと)は、父親とは話せないが、僕とは話せると言った』というようなことをコメントしていました(笑)」


 そんな時代もあった清家だが、いまでは、〈シナリオクラブ〉という、戯曲の読み合わせをする会員制の活動を行っている。
「シナリオクラブをはじめてからですね、しゃべれるようになったのは(笑)」
 この活動をやることになったとき、蜷川にまっさきに報告した。蜷川は「おれの名前も宣伝に使っていいよ」と快諾してくれたという。


 さて、前述した丸尾末広の漫画を元にした役についてだが、それを、スタジオのメンバーである妹尾正文は「あの頃の清家は最高にトガッていた」と振り返った。
「青春どころか人生を蜷川さんに捧げた」と笑う清家は、いま、取材の対応もずいぶんと穏やかだけれど、やはり、『2017・待つ』でひとり芝居一本を貫いた点において、いまだにトガッていると言えるだろう(ただし、スタジオ公演が常に一人芝居だったわけではない)。


 そんな清家はこれからどこに向かおうとしているのか。このままずっと“蜷川幸雄”の演劇を伝えていくのか、それとも、新たな表現を求めていくのか。
「いや、もうそれしかないですから。蜷川幸雄のDNAが染み付いているひとりですからね。シナリオクラブでも、しょっちゅう、『これは蜷川さんが言ったことですけどね』と話をしています。たとえば、会員の方に『声が出ない』と言われたとき、蜷川さんだったらなんて言うかなと考えるんですね。蜷川さんは『発声はコミュニケーションの欲望なんだ。その伝えたい思いがあれば、そういう音が出るだろう』とよく言っていました。伝えたい思いがあれば、滑舌が悪くても、悪いなりに伝えようと努力するものじゃないですか」


 こんなふうに、何かの局面、 局面で蜷川の言葉を思い出すという清家。 『リハーサル・マクベス』の中にも、
“蜷川幸雄”を思い出させる部分がそこかしこに散りばめられている。

「蜷川さんは、亡くなったことで、ぼくたちに永遠の挑発をしているなって思うんですよ」


取材・文/木俣冬
デザイン/田淵英奈