2017・待つ/インタビュー:新川將人

新川將人 これが“最後”という気持ちで

新川將人 ”キャベツ”


<photo 仲野慶吾>

 

 新川將人は、蜷川の舞台における印象的な演出・スローモーションに尽力した俳優だ。
「蜷川さんの舞台のなかで、スローモーションのシーンは大事。ふつうの芝居とは違った説得力をもって、観客が芝居に入り込める役割を果たしています」と新川が語るように、俳優の一瞬の“生”の熱量や輝きが、スローモーションによって可視化する。『2017・待つ』でも『戦場のピクニック』で使用された。


 新川は、ニナガワ・スタジオに入る前に所属していた倉本聰主宰の富良野塾で学んだことを生かし、さいたまゴールド・シアターやネクスト・シアターの劇団員たちにもスローモーションを指導していた。
「最初はアイスホッケーの実業団に入ったものの、辞めて、しばらく実家で働いていたんです。でも、うちには兄貴がいるんで、いずれ家を出なくてはないけないと思ったとき、役者にでもなろうかと思った。そんな簡単に役者になれるものでもなく、お金を使っていろいろな養成所に通った結果、富良野塾にたどりつき、やっと芝居の面白さがわかったんですね。そこで、身に付けたのがスローモーションでした」


 当時(80年代)、大杉漣が所属していた転形劇場などをはじめとして、芝居にスローモーションを使う演劇があり、新川は直接それを観ていないが、ひたむきに技を磨いていった。
「誰よりも、スローモーションを再現したくて、ひとが歩いている状態をスロー画像で何度も見て研究に研究を重ねました。個人差もあるし、完全にコピーするのではなく、むしろ、デフォルメしないとそれらしく見えないんです。リアルに考えると足が浮くところを、足を回転させることでそれらしく見せるやり方を工夫するなどしています。極めるならば、ほんとはハーネスをつけてやりたいくらいです。スローモーションに関しては正解がない。これこそが、という定義がないから、永久に追求できますね」
 その研鑽が、ニナガワ・スタジオに入ったとき、生かされて、スローモーションをやったエチュードを蜷川幸雄に認めてもらうことになった。身体能力を生かして、アクションのある場面で中心になって活躍するなかで、2012年、『海辺のカフカ』では重要な役・ジョニー・ウォーカーに抜擢された。
「蜷川さんが、ジョニー・ウォーカーは外国人に見えないといけないと言って、ぼくを推してくれたんです。
ただね、原作では、とても背が高いと書いてあって、それをどうみせようと悩みました。最初のぼくの出番の稽古をする日、早めに稽古場に来て、ああでもないこうでもないと考えているうちに、飛んじゃおうと思いついたんです。美術の中越(司)さんに許可をもらって、テーブルとソファの上に飛び乗ることにしました。中越さんは急遽、ソファに板を入れてくれました。それを見た蜷川さんは何も言わなかったです。ジョニー・ウオーカーで唯一、言われたのは、『マクベス』の台詞に関してだけでした。『平(幹二朗)さんのように!』って」
 蜷川は、いいときに何も言わないこともあれば、何も言わずに見切ってしまうこともあったと新川は言う。


一度、何も言われず、身の細る思いをしたことがあった。
「『祈りと怪物 ウィルビルの三姉妹』(13年)で8キロ痩せちゃったんです。その前に、アキレス腱を切ってしまい、リハビリ後の復帰作だったんですが、すっかりテンションが下がってしまい、なんだか芝居に身が入らなくて。蜷川さんにはそれがわかっていたのか、2週間、口をきいてくれなかった」
 アイデンティティ だった身体能力を一時失って苦悩した新川は、逃げたい気持ちを抱えながら、稽古を続けるしかなかった。
「あるとき、『ようやく光が見えたな』って蜷川さんが言ってくれて、地獄から戻れたような気持ちになりましたよ。あとで、蜷川さんの車の運転をしていた上田さんが『あいつは芝居をやったほうがいいんだよ』って言っていたと教えてくれて。やりながら身も心も回復するしかないということだったんでしょうね。とはいえ、この試練は辛かったですね(笑)」



 身体は屈強だが、ナイーブだ(蜷川のとこにいた俳優は皆ナイーブだと感じる)。稽古でダメ出しされると、蜷川が帰ったあとでひとり稽古を積んだ。 稽古前も蜷川の来る前にできるだけ早く来て、稽古を蜷川に見られないようにしていた。


「蜷川さんが亡くなって『尺には尺を』をやっているときも、こんな辛い毎日、やってらんねえと思ったし、生前の映像が使われた缶コーヒーBOSSのCMを見れば泣くし、追悼公演も観たくないと思ったし、「『待つ』に出ることも悩みました。でも、“最後”だって思って踏み切りました。最後でしょ。ここから一歩踏み出すための『待つ』だと思う。これで、自分のなかでけじめつけます」

(写真/宮川舞子) “キャベツ”より

『12人の怒れる男』は、シアターコクーンでやったとき(09年)は、守衛だったが、今回は初役。それから、『キャベツ』の原作は、新川が選んだ。
「野辺(富三)と一緒にやることになって、彼がいろいろ作品案を提示してきたものの、ピンとくるものがなくて、言い出しっぺがおれなのに、何も提示しないでは通らないと思って、本屋や図書館をまわっていたとき、 偶然みつけた作品です。死を連想するような話がすでにふたつあるので、少し笑えるものがあったほうがいい。死があるからこそ生があるってことを感じてもらいたいですね」


 演出家不在で、俳優たちだけでつくっていく公演。
「それこそが『待つ』なんですよ。みんなでぶつかりあうのがいい。でも、いままでは最終的に蜷川さんがジャッジしてくれていたんですよね。それが今回、蜷川さんがいない中、ぼくらだけでやったということが大切なんだろうなと思っています」

取材・文/木俣冬
デザイン/田淵英奈