2017・待つ/インタビュー:飯田邦博
飯田邦博 演劇だから言えること
飯田邦博 “花飾りも帯もない氷山よ”
<photo 仲野慶吾>
『花飾りも帯もない氷山よ』は、ああ、清水(邦夫)さんだなあ……と思いますねえ」
そう言ってしみじみする飯田邦博。清水邦夫と蜷川幸雄の関係の深さはもちろんのこと、ニナガワ・スタジオと清水の関係も深い。85年、『95kgと97kgのあいだ』にはじまり、スタジオの代表作のひとつになった『NINAGAWA 少年少女鼓笛隊による 血の婚礼』を清水は書き下ろした。その『血の婚礼』と『花飾り~』にはちょっとしたリンクがあると飯田は言う。 「『血の婚礼』に出てくる、とても美しく印象に残る“蟹の女の手紙”。蟹の女を演じた女優が、若くして癌で亡くなったということもあって、『血の婚礼』はいっそう記憶に強く残っています。あの元になった詩が『花飾り~』に入っているんです。でも、おれと塚本がやると、あまりに違う雰囲気になって、誰も気づかないんじゃないかな(笑)。そもそも、『花飾り』は基本的によくわからない作品ですね。清水さんらしい瞬間的なイメージの積み重ねでできているから、理屈では理解できないことがたくさんあります。6、70年代にはそういう作家が多かったですよね。例えば、昔の野田秀樹さんもそうで、字にするとなんだかよくわからないセリフなんだけど、さんざんいろいろなことが起こって、最後にそれを言うと、その瞬間だけ鮮烈に印象に残るようなことがあるですよね」
飯田は、そんな戯曲の力に誘われて演劇の世界に入った。
「最初は、テレビ局に入りたかったんですよ。それで東京の大学に入って、就職に役立つと思って放送部に入ろうとしたら、完全に女性主体だったから、代わりに演劇部に入ったんです。俳優志望ではなかったけれど、よくあるパターンで、出演者がひとり足りなくてやったら、楽しくなっちゃって。そのときの演目は別役実さんの『ポンコツ車と五人の紳士』でした。それから、学生生活を謳歌して、就職の段階になって、でも、演劇やりたいと思って、自由劇場に入りました。でも、2年でくびになって。そのときちょうど花園神社でやった『王女メディア』を観て、ここに入りたい! と思った。そしてオーディションに受かって、以来32年です」
途中、T.p.tの作品に参加したり、デヴィッド・ルヴォーのワークショップを受けたりということもしながら、ほぼ蜷川作品に出続けた。その理由を飯田はこう言う。
「最初に『メディア』を観たショックは忘れられないですね。蜷川さんの舞台は、ほかにないおもしろさがあった。なんといっても、スタジオに入って2年めで、海外公演に参加させてもらったことが大きいですね。
ロンドン、エディンバラ、ニューヨーク、バンクーバーとまわって、なにより印象的だったのが、エディンバラの野外で公演したときのこと。最前列の真ん中に車椅子のおばあさんが座っていて、その左右に彼女の一族郎党が座っていたんです。 開演前に雨が降ってきたので、制作の人が気を使って、『雨降ってきましたから、開演時間を延ばしますか?』と聞いたら、 『It’s ordinary weather いつものことよ、早くやって』 とどこ吹く風という様子だった。 こういう欧米の、 演劇を観る習慣や態度——家族で観るとか、雨でも気にしないとか、そういうことのひとつひとつが興味深かったし、なんといっても終演後のスタオベに感動しました。やっているこっちのほうが感動しちゃうほどの熱狂的なもので、ああいう感動を経験させてもらったことは忘れられないですね」
最初に海外公演に参加してから2年に1度くらいの割合で、海外公演に参加し続け、最後は『ムサシ』だった。
「テロの後、様々な痛手を追ってきたアメリカには、井上ひさし先生の平和への祈りがとても受け入れられたんですね。その様子を観ることができたのもラッキーでした」
蜷川からたくさんのかけがえのない体験を受け取ってきた飯田ではあったが、今回『2017・待つ』に参加することを一瞬ためらった。
「私事ですが、昨年の10月に母が亡くなりまして。年明けてからも大きな精神的なダメージから抜け出せなかったんです。親父もすでに亡くなっているからひとりぼっちになってしまって、全然やる気が起きなくて。
作品も決められないでいたとき、友人と久しぶりに会ったんですね。その友人が、商業ベースの蜷川追悼作品は、余韻として観るかもしれないけれど、おまえらの『待つ』を観ることが、おれたちと蜷川さんとの別れになる。 “おまえらが蜷川なんだ” って励ましてくれて。へへへ。だから一生懸命、やらなくちゃなと思ったんです」
稽古を観ていても、芝居の中に様々な思いがにじみ出るように思う。
「演劇だから言える、演劇だからよかったってことはあると思います。作家が評伝を書くようなことを、ぼくらはできない。でも、別の表現——演劇ならできる、だったらそれをやってみようってことですよね。自分語りなんて、まじめに話せないですよ。みんな、口にはしないけれど、いろいろな思いがあると思いますよ」 芝居の中では、思いきり叫べるし、泣ける。語れない言葉を抱えながら、皆、演劇を続けていく。
(写真/宮川舞子) “12人の怒れる男”より)
「『12人の怒れる男』に関しては、俳優はわがままなので、一回やった役とは違うものをやりたいと思うものだけれど、今回は、短期間で作らないとならないので、適材適所でいきましょうということでまとまりました。
ただ、同じ役を積み重ねたとき、違ったことを感じられるといのもあって、お芝居やっている分には楽しいですよ。覚悟してはじめたことだけれど、仕切る人がいないから、空中分解するんじゃないかって心配になるようなこともありますよ。なにしろ俳優はわがままだから(笑)。でも、公演をやるという目的はひとつだから、粛々とやっています」
取材・文/木俣冬
デザイン/田淵英奈