2017・待つ/インタビュー:妹尾正文
妹尾正文 叙情、立つ。
妹尾正文 ”チチ”
<photo 仲野慶吾>
妹尾正文は、ニナガワ・スタジオに入る前に、 シェイクスピア・シアターに所属していたこともあって、蜷川幸雄のシェイクスピア劇を引き締める役割を担っていた。知性派担当と同時に、恰幅がよくエネルギッシュなところを生かして、舞台上で大道具(『海辺のカフカ』のトラックなど)を動かす肉体労働班でもあった。
妹尾はそれを「番頭さんみたいなポジション」と茶化していたが、蜷川に信頼されていたという自覚もある。
「よく蜷川さんが“叙情”って言葉を使ったんだよね。舞台上の全員が、ひとりひとりの人生を賭けて、真摯に取り組んでいくことで、“叙情が立つんだよ”って。蜷川さんは、自分の箱庭の中に俳優を好きに配置して楽しんでいるように思ったこともあったけれど、そうじゃなくて、蜷川さんは、観客に対してどうしたら、戯曲をすばらしく届けられるだろう、誰も見たことのないものを提示して喜んでもらえるだろうって、考えていたんだよね。だからこそいろいろ無理を言われても、なぜかみんな従った。それは、お客さんに喜んでほしいっていう根本的な気持ちを共有できたからなんだろうね。叙情ってザルみたいなもので、じゃんじゃん入れてもこぼれ落ちてしまう。最後にちょっとだけ残ったものが叙情になるから、過剰なまでに、無駄かと思うこともいっぱいやっていかなといけない。そういう蜷川さんの演劇を、おれたちが支えてきたっていう自負があるし、
自負があるってことは責任もあるわけで、どこか蜷川さんの演劇の遺伝子をみんなが受け継いでいくべきだと思っています」
還暦を過ぎてもなお、舞台で肉体労働をしていたという点においても、蜷川の舞台に身を捧げていたといえるだろう。30年という長い間、蜷川と共に時代を走ってきた。
「蜷川さんとの演劇体験はめくるめく記憶なんだよね。世界で一番愛した女と朝から晩まで一緒に過ごした記憶に近いと言えばいいんだろうか (笑)。この感覚は、誰にもわからないと思う。たとえば、雨に濡れながら芝居をしたこと、その雨がやんだ暗闇のなかで芝居したこと。野外演劇で走り回ったり、ギリシャの劇場で蜷川さんと月を見ながら語り合ったりとか、ふつうは味わえない体験をいっぱいした。そのめくるめいた記憶が、ぼくの30年間を支えていました」
そんな思いの集大成が、今回の『2017・待つ』だ。
「装置全体はいい具合じゃないかって思っているんだ。後ろに、蜷川さんの過去の舞台の記憶の痕跡っていうのかな、そういうのを集めて、いわば、蜷川演劇の祭壇みたいになっているんだ。その前に、ろうそくを点けて、演劇を捧げる。いわば、原始的な演劇の成り立ちみたいな。蜷川さんを “神” とするわけじゃないけれど。ぼくたちなりの決別の仕方となるんだよね。ほんとの別れがこの公演なのかなあ……って」
芝居の内容だけでなく、装置に関しても、かなり喧々諤々、みんなで話し合いを行ったうえで決定していった。
「作品選びも、みんな似たような気持ちがもちながら、それをどうそれぞれ違う方法で表現するかだと思うんだよね。ストレートな表現をする人もいれば、角度を変えた表現する人もいて、それぞれの人間性が出るようでおもしろいよね」
表現方法は違うが、みんな一様に、長く蜷川幸雄と一緒にいた時間とどう折り合いをつけるか、葛藤している。
「一周忌にゆかりの人たちが集まって、みんなで飯食ったりするじゃない。それと同じで、ぼくらは亡くなった人のことの思いながら、目線は前に向かっているってことかな。『NINAGAWA 少年少女鼓笛隊による血の婚礼』で喪服の男(86年、妹尾が演じた)が 『世界のなかに歩いていくんだ』 というようなことを言うけれど、そういうことで、過去はもう振り返らないってことなんだよね」
その気持の表れとして、妹尾はひとつ選択をした。
「みんなは、次の『NINAGAWA・マクベス』に出るけれど、ぼくと新川(將人)は出演オファーをいただきましたが、今回はお断りしたんです。 『マクベス』は初めていい役につけてもらった思い出の作品で、だからこそ、蜷川さんがいない蜷川演劇は観たくないっていうか……」
それはかなり重い決断ではなかったか。だが、妹尾の決意は固い。
「『2017・待つ』は、過去とどう決別するか、または、過去をどう取り込んでいくか、過去のうえに何を積み重ねていくか、という岐路だと思っている。その岐路に立って、俳優としてどちらに進むか、ここで明らかにするということなんだよね。この30年というのは、実のところ、自分の志向を少し抑えて、蜷川さんに合わせてきた30年でもあるのね。だから、これからは、自分がほんとうにやりたかった芝居にも目を向けることができるのかなという開放感みたいなものも感じているんです。封印していた自分に気づく日々なんですよ」
『2017・待つ』の『チチ』では、老いた男を抑制した芝居で演じている。堀が探してきた小説の一節を出発点にして、『1992・待つ』でやった『パパ・ユーア クレイジー』の一部や、その他、小説の引用や創作など、ふたりで作っていった。
(写真/宮川舞子”チチ”より)
『12人の怒れる男』は、蜷川があまり好まなかった作品ではあるが、あえて選んだ。
「映画の人気が高い作品だよね。ヒューマニズムの最高峰として、時代を超えて愛されているわけは、登場人物、ひとりひとりが際立っているからだと思うのね。おれも特に好きな戯曲っていうわけじゃないけれど、俳優が均等にぶつかっていくという意味ではとても面白い作品なので、楽しんでやっています」
”2017・ 待つ”後半戦は5月11日から14日まで!!
取材・文/木俣冬
デザイン/田淵英奈